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評者◆前田和男
国連憲章制定会議の修正案を甦らせよ
No.2948 ・ 2010年01月01日




 六年かかって論文英語と国際法の基礎的な勉強をほぼ終えた河野は、いま専門家とグループをつくって、国連憲章の抜本改正案の素案を書くことをめざしている。どう抜本改革をしたらいいか。第二次世界大戦の「勝ち組」がはっきりした一九四五年の四月二五日から六月二六日まで、サンフランシスコで開かれた国連憲章制定会議の議事録を読んだ河野は、論点はほとんど出つくしていることを発見した。
 この会議に参加したのはちょうど五〇カ国。ほとんどの国が、その国を代表する国際法の専門家を同伴した外務大臣をリーダーとし、日本では米軍による連日の本土空襲のうえ沖縄や南方諸島で悲惨な戦死・餓死を大量に出しているというときに、たっぷり二カ月をかけて連日議論を戦わせた。米英ソ中共同提案になる憲章原案を審議する基本四委員会にはそれぞれ三、四の分科会がつくられ、中には午前四時間、午後四時間、夜は八時から夜中まで再び四時間以上開催された記録も残っている。これほど多くの国の要人・賢人たちが缶詰めになって長期間、徹底的に討議した国際会議は現在にいたるまでないと断言できる。
 そして河野が注目し感心させられたのは、参加国のうちなんと中小国四〇カ国までもが独自の修正案を出しており、そのほぼ八割が「正論」だということだ。しかし残念なことに、それらは英米ソと蒋介石政権がくむことによって、力でねじふせられ、骨抜きにされた。そのプロセスが、積めば彼の背丈ほどになる全一六巻の議事録に残されている。
 この貴重な文献の存在を知った河野は、アバディーン大学図書館で探し求めたが見つからなかった。大学当局は、一週間以上探してようやく同大構内から二キロも離れた倉庫の中で発見。誰も読む人がいないから眠っていたのだ。河野はそれを取り寄せて、さっそく読みはじめ、六割を読みおえた。四〇カ国が中小国の立場から出した修正案には、大国優位のシステムとなるのを回避するための方法論が多く見出される。まさに、これからの改革の方向性と具体策の宝庫であり、これを参考にしないのは申し訳ないと感じた。
 生きているうちにはむりでも、国連憲章抜本改革の手掛かり・足掛かりだけはつくっておかないと死にきれない。そう思って必死に勉強をしてきたが、どうやら孫たちのために、これからとりくむ博士論文の中で「地球市民の原案」を託せそうだ。それが、河野を育てた社会党政策審議会と村山への恩返しにもなるとの実感を深めつつある。

●不器用なまでの一途さ

 ここまで河野道夫の村山政権へのかかわりを手がかりに、社会党と政界再編の一面を検証してきたが、最後に河野の「身の処し方」について、私なりの所感を述べてまとめとしたい。
 実は河野に会うまでは、村山首相の首席秘書官をつとめ社会党の後継の社民党を「円満退職」したという経歴から、大手労働組合の大幹部のような、「老獪な活動家」を想像していたが、私の予想は完全に裏切られた。
 河野が留学先の英国から一時帰国するというので取材のアポをとりつけた。指定されたのは、東京の下町、十条の昭和の雰囲気をとどめる昔ながらの喫茶店。自転車でかけつけた河野は、ウェートレスに「このあいだ区営のプールで見かけたね」と声をかける。持病の腰痛対策でプールに通っているのだという。まさに気さくな下町のおっさんである。かつて首相秘書官として官邸ですごし、今はイギリスの大学院で国際法を研究している人物とはとてもみえない。
 あいさつもそこそこに取材に入ると、いきなり時間は青春時代へ。私は河野の五歳下だが、鈴木大拙で禅に、サルトルやカミュで実存主義に、そしてマルクスに出会って天下国家を論じ、人生どう生くべきか、悩みもがいていた青春時代を思い出していた。しかし、私もふくめて多くの若者はそんな青春の悩みを適当になだめすかして生きていくうちに、いつしか日常に埋没していく。ところがあの時代の悩める若者たちが多かれ少なかれもっていた、不器用なまでの「一途さ」が、河野の中では今も生き続けているようなのだ。
 この青春時代そのままの一途さが、河野に「政局」の仕掛け人ではなく「生涯一立法政策マン」を、そして派閥政治がうずまく社会党書記局のなかであえて「はぐれ烏」を選ばせたのではないだろうか。念のために記すと、「はぐれ烏」は河野の自称であって私が貼ったレッテルではない。そして重要なのは、河野は「はぐれ烏」を「勲章」としていることだ。河野自身のことばを引こう。
 「立法政策マンにとって「晴れ舞台」とは、自分たちが主張し、提起する政策(の全部または一部)が実現したときだが、自分の名前は一切出ないし残らないのはもとより、党の名前さえ表面に出ないこともある。しかしそんなことには関心がないのが真の「立法政策マン」。当初からその覚悟を決めていたからこそ、この道で生涯を終えることも展望でき、政治面では「はぐれ烏」と呼ばれることを“最高の名誉”と受けとめることができた」
 「立法政策マンゆえに、そもそも政治の大局を動かそうなんて気はさらさらなかった。与えられた条件の下で最善の策を立案することで競い合ってきた。だから、(河野が立案した政策の具現者として)「五十嵐委員長」や「村山委員長」を希求したが、「細川連立政権」も「村山内閣」も発想できなかった」
 河野は、すでにふれた社会党を中心にした政界再編を仕掛けつづけた高木郁朗や仲井富とは対極の存在なのである。
 したがって、通常の政局であったら、河野のような「はぐれ烏」が「政局」と切りむすぶことなどない。しかし、皮肉なことだが、十六年前の大政局はそんな「はぐれ烏」を必要としていた。明治以来の憲政史上未曾有な奇策によって成立した政局劇だったからこそ、村山とともに河野のような「はぐれ烏」に出番がまわってきた。
 まさに政局とは遠く距離を置いてきた「はぐれ烏」が大政局の、しかもそのど真ん中である官邸に入るという「ミスマッチ」が起きたがゆえに、「はぐれ烏」の中に政治的な化学変化が生じた。その化学変化のもっとも劇的なものが、今河野がイギリスで取り組んでいる「国連憲章の抜本改革」ではないだろうか。
 今のところ河野の取り組みは、たったひとりで風車に立ち向かう「ラ・マンチャの男」に見える。しかし、もし河野の気宇壮大な挑戦が実を結んだとしたら、「歴史の歯車を逆にまわし、五五年体制を延命させ、政権交代という新しい時代の到来を遅らせた」といまもって評判のよくない村山内閣の評価を再検討させることになるかもしれない。
(ノンフィクション作家)
(文中敬称略)







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