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評者◆前田和男
第68回 「平成新党」か「日本新党」か
No.2955 ・ 2010年02月27日




 議論しなければならないことが山ほどあるいっぽう、時間は参議院選挙までわずか二ヶ月と限られていた。常任政務委員会は数日おきに開かれ、それこそ墨俣一夜城のごとく新党の全体像が築かれていった。まずは「党名」だった。細川が『文藝春秋』で「結党宣言」したときは「自由社会連合」となっていたが、それは仮の名称で、細川本人も記者会見で「正式党名は公募する」と呼びかけた。「体」をあらわす「名」が決まらなければ何事も始まらない。
 そのためにメディア委員会がつくられ、金成の人脈からPHP研究所刊の月刊オピニオン誌『THE21』編集長の中博を委員長にすえ、金成も委員となり、細川の人脈から気鋭のコピーライターの仲畑貴志、芥川賞作家の新井満、キリンビールの「一番搾り」のネーミングに関わったメディアコーディネーターの三木清などが加わって、全国から集まった二百を超える「党名案」をふるいにかける作業が始まった。
 審査の基準・条件は、
 1普遍性があること
 2新しいリアリティが期待されるものであること
 3新しい日本を創造する決意がうかがわれること
 4政治姿勢の柔軟さ、斬新さがあること
 5階層・階級・保革イデオロギーの違いを超えてすべての人々に広く訴えかけられる姿勢があること
 6世代・性別・職業・地域などの違いを超えた分かりやすさ、言いやすさ
 7多くの人が参加しやすいこと
 二度の審議を経て、党名の有力候補として残ったのは、「二十一世紀新党」「民政党」「市民行政党」「社会市民党」「市民党」「平成新党」「改新党」「新政党」「フォーラム二〇〇一」「新緑風会」「日本新党」など。
 細川もこの「選考」に参加しており、そのときの新鮮な印象を驚きをもってこう回想している。
 「(コピーライターの仲畑たちが)これは生きた言葉か、死んだ言葉かって(ボードに)書いていく。たとえば、「市民」は死んだ言葉の方に入る(笑)。「連合」も死んだ言葉」(前掲『「新党」全記録』)

 そして三度目の最終審査では、「政権担当可能な本格的な政党を目指すなら、背筋のしっかり通った党名が必要であり、「新自由クラブ」のようなカタカナを使用せず漢字がのぞましい」という方向で大勢の意見が集約された。これに野田佳彦から「平成の御世に誕生したのだから、党名に「平成」という年号を冠するのはどうか」、三木清からは「日本という言葉は中年以上には右翼的響きがあるが、若者には、今、最も新鮮な響きがある「日本」を党名にいれるのはどうか」という提案があり、「平成新党」と「日本新党」の二つに絞られた。
 この二案に対して細川から「国際的に通用するのか」との問いかけがあり、その場で、細川と親しい在ワシントンの外交官に電話をいれてコメントを求めたところ、平成新党の英語名「Heisei Party」は通じないが、日本新党の英語名「Japan New Party」なら十分に通じるとの答え。かくして、二一日未明、党名を「日本新党」(英語名を「Japan New Party」)と決し、翌日政治団体として正式に東京都選管に届け出けられたのである。
 余談を加えると、正式に結党された日本新党の栄えある第一号党員は、牧野聖修である。牧野は、「そのことをとても誇りに感じています」と『日本新党変革の記録』(日本新党出版部編、一九九四年)に喜び勇んで記している。
 しかし他にも党員第一号を望んでいた大物がいた。第三次行革審会長の鈴木永二である。鈴木は細川から日本新党立ち上げの構想を聞き、結党のあかつきにはいの一番に入党すると表明していた。ところが牧野に先をこされただけではない、第二号党員は金成で、鈴木は三番目の登録となったため大いにくやしがったという。では肝心の細川はというと、お殿様の鷹揚さというべきか、代表にもかかわらず党員登録をしていなかった。
(文中敬称略)
(ノンフィクション作家)







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