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評者◆佐々木力
(1)社会主義運動の大河、マルクス主義の長い歴史に大きな段階を記す画期的事業
No.2942 ・ 2009年11月21日




 最近の二十年は世界史的な未曾有の激動の時代であった。一九八九年からの東欧のいわゆる「社会主義圏」の崩壊、それに昨年秋に起こった、二十年前の勝者たる世界資本主義経済の「世紀的危機」がこの時代の代表的事件であった。人類の根源的解放を謳っていた社会主義運動、それに理論的基礎を与えると唱えていたマルクス主義思潮にとって大きな試練となる時代であった、と掛け値なしに言うことができる。
 この閉塞の時代に突破口を与えるべく、今年になってアメリカにはオバマ大統領が「チェンジ」(変革)の旗を掲げて権力の座に登り、さらに日本でも半世紀以上の自由民主党支配の時代が終焉し、民主党の対抗策が人々の関心を集めている。
 問題は、このような改良的対抗策にとどまらず、資本主義体制の抜本的革命を唱道するマルクス主義に基礎を置く理論と運動がいったいどのような変容をこうむったのか、ということであるに相違ない。私は、フランスで今年二月初旬に結成された反資本主義新党創党の動きこそが、最近二十年の危機の時代からの脱出口のひとつであると考えるものである。それは、社会主義運動の大河、マルクス主義の長い歴史に大きな段階を記す画期的事業であろう。その歴史的意義について若干考察してみたい。
 フランスの反資本主義新党は、その国のトロツキスト組織が自己解散したうえに、まったく新しい大衆党として創設されたものである。すなわち、一九三八年初秋にトロツキイによって創設された国際組織である第四インターナショナルの最大規模の支部であり、指導的で、かつ思想的に最も活発だったフランス支部の革命的共産主義者同盟(LCR)が二〇〇九年二月五日に自己解体を決定する全国大会を開催し、その直後の二月六―八日に、反資本主義新党(Nouveau parti anticapitaliste)の創設大会がもたれた。この新党は、第四インターナショナル・フランス支部をもはや名のらない。これは、第四インターナショナルが、これまでの小規模な党組織者の集団=セクトから、反資本主義の大衆的政党へと発展的に解消する最初の本格的な試みとして歴史的にとらえることができる。
 この歴史的に画期的な事業は、まず、トロツキズムの歴史にとって決定的な事件として理解されなければならない。同時に、この事件は近代資本主義の変革の試みの大きな流れの中で、資本主義を救済しようとする改良主義とは別の革命的な流れが、一九九一年暮れのソ連邦の解体以後、初めて巨大な姿を現わしたことを意味している。両方の側面が、フランス特有のコンテクストの中で、そして国際的視野のもとで、包括的にとらえられなければならないであろう。
 この初春のフランスでの事件が、狭いトロツキスト・サークルの枠組みを超えて大きな意味をもっていることは、権威ある週刊誌『ニューズウィーク』の二月十一日号が「資本主義 社会主義」を標題として特集を組み、さらに、朝日新聞が三月十八日付朝刊で「既成政党〝Non〟34歳新星」として反資本主義新党の中心的活動家で郵政労働者のオリヴィエ・ブザンスノーの大きな紹介記事を掲載した事実からも分かる。これらの記事の論調はいずれも、サルコジ保守党の真のライヴァルは、もはや社会党ではなく、反資本主義新党であり、新党はフランス国民の二〇%ほどの支持を集めるようになっている、というものであった。
 一九九一年のソ連邦崩壊、それに引き続く社会主義ないしマルクス主義の思想的危機のあと、体制間競争で勝利したはずの国際資本主義体制が、二〇〇八年秋の世界的経済恐慌によって深刻な危機に陥ったことへの対応が最も劇的にフランスで実行された結果が、今回のその国での反資本主義新党の結党であったと見ることが可能なのである。



 まず、トロツキスト・インターナショナルの歴史から見て、今回の事件がもつ意味を探ってみよう。共産主義インターナショナル(略称、コミンテルン)とも別称される第三インターナショナルは一九一九年に、ロシア社会主義革命の達成を受けてレーニンらによって創設された。帝国主義的資本主義に対するオールターナティヴとして国際的に反植民地主義の巨大なうねりを上げ潮にまで高めるという歴史的意義をもったインターナショナルであった。ところが、レーニンの死後、東方では中国革命の挫折を引き起こし、西方ではヒトラーのナチズムなどの全体主義的政体を生み出してしまった。とくに、後者の一九三三年の悲劇的失敗が決定的であった。
 このようなコミンテルンの決定的失政を目撃したトロツキイは、もはやスターリンらの思想が、被抑圧民族・労働者階級の解放を導くことはないと判断し、一九三三年後半から、新しいインターナショナル結成へと踏み出すことを決意した。こうして慎重な準備活動を経て、一九三八年初秋に創設されたのが第四インターナショナルであった。それは、トロツキイや中国共産主義の創始者陳独秀らを結集して始動したものの、彼らは、一九四〇年、四二年にそれぞれこの世を去り、若い未熟な活動家だけが、ちっぽけな反戦・反資本主義運動を、スターリン主義組織による未曾有の大迫害に抗して展開できただけであった。
 戦後のトロツキスト・インターナショナルを指導した最大の人物は、ベルギーのエルネスト・マンデルであった。一九二三年四月、ユダヤ人アンリ・マンデルの子としてこの世に生を享けたマンデルは、父の薫陶もあって当初からスターリン主義思想の影響を免れていた。十三歳頃にはすでに左翼反対派の活動家になり、当初から第四インターナショナルのために自らの生命を捧げたも同然であった。彼の生涯については、最近、すぐれた伝記的著作が刊行された。ヤン・W・ストゥチェの著作『エルネスト・マンデル――一反逆者の遅らされた夢』(ヴァーソ、二〇〇九年)にほかならない。マンデルは、一九九五年七月、この世を去ったが、私はその直前、彼とベルギーで会い、握手をし、挨拶を交わしている。彼の人となりについては、生前交流のあったあるヴェトナム人経済学者が「気高い」と表現したことが私の印象と一致する。私は、そのことばを一九九八年五月パリで聞いた。私がマンデルと最初に会ったのは、一九七七年ニューヨークのある集会においてであったと記憶するが、その席で、彼は論敵であるスパルタシストの活動家に「同志!」と呼びかけながら、実に丁寧なことば遣いで説得的に討論したことがまことに印象的であった。
 マンデルは、戦後資本主義の経済学的分析の書として、『後期資本主義』を一九七二年に出版した。それ以前、一九六八年五月のパリの革命にあたっては自ら街頭闘争に参加し、その革命を担った若者たちの政治理論的指導者となった。この世代を現在「六八年世代」と呼ぶのが一般的であるが、私自身、この世代の一員としてマンデルの影響下の「教え子」であったと考えている。キューバ革命のチェ・ゲバラや、ドイツのルディ・ドチュケ、フランスのアラン・クリヴィンヌやダニエル・ベンサイドらは、なんらかの意味で、マンデルの弟子であったと言っても過言ではないだろう。
(東京大学大学院教授・日本陳独秀研究会会長)
――つづく







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